朝日新聞:東京)街/福生…基地と異文化の街(1)

<以下は記事の引用>

◇異境の街 息づく音楽

 昼と夜で、その表情を変える――。福生はそういう場所だ。

 夜7時過ぎ、店の二重ドアを開けて、楽器を抱えた男たちが集まってくる。

 広大なアメリカ軍横田基地のフェンス沿いに続く国道16号。そこから西へ200メートルほど。「UZU(ウズ)」は創業42年のライブハウスだ。この街の音楽を支えてきた老舗の一店である。

 ミュージシャンたちは互いにあいさつを交わし、ライブが始まる。

 テレビをONにしたら

 やせた子供の映像が

 悲しそうな顔して

 母に抱かれ眠っている

 ……

 涙の音を止めないで

 ラブイズミュージック

 ……

 時代を感じさせるロックバンド「BLACK(ブラック) NAILS(ネイルズ)」。メンバー3人は60歳を超えている。

 ベースを弾く坂本カツミさん(65)は言う。

 「福生は音楽の街だ」

 三鷹の出身。中学生でロックンロールに夢中になり、高校は中退。バンドを転々として大手プロダクションから1977年にデビュー。人気番組にも出演した。が、ほどなく解散。一度は音楽をあきらめ、運送の仕事で家族を養った。

 ◆戦争のにおい 自由の喜び 叫ぶロック

 福生に住み始めたのは30歳を過ぎてから。この街の音楽に、独特の強烈さを感じた。年月を経て、かつての仲間と再会。加わったのが「BLACK……」だ。

 「化石みたいなバンドでしょ?」。店を経営する村上永里子さん(66)は演奏に聴き入り、つぶやく。店に出入りするミュージシャンたちの「ママ」である。

 ロックファンが高じて友達と関西から出てきたのは20歳のころ。バンドのマネジャーだった夫と出会い、最初は渋谷で「ロック喫茶」を始めた。都会の喧騒(けんそう)に疲れ、福生の友達を訪ねて、この地域で「米軍ハウス」と呼ばれる住宅に住み始める。米軍人用に建てられた平屋の賃貸住宅だ。初めて見た黒人兵に異境の空気を感じた。

 「ほかの街とは違う独特の魅力があったですね」

 周辺にはたくさんの米軍ハウスがあった。空き屋になると日本のミュージシャンやアーティストたちが住み着き、芸術活動に明け暮れた。店常連のシンガー、中原宙さん(66)も美大生のころハウスに住み、歌い始めた。「好きだからやってこられたんだよね」

 店の名の「ウズ」は亡き夫が考えた。街に集う音楽家たちの小さな輪が、やがて大きな渦になるように、と。

 客は外国人と日本人が半々だった。故郷を離れた米兵たちはロックに浸り、浴びるように酒をあおった。けんかは日常。バンドが客を熱狂させ、熱狂が音楽を鍛えた。後に、武道館ライブを成功させたビッグバンドもここから巣立った。

 開店の年、1975年、ベトナム戦争が終わる。

 ある夜、帰国が決まった米兵たちがステージに駆け上がり、軍服を脱ぎ捨てた。もう自由だ、と。軍服を踏みつけ、店の前の畑で火をつけた。涙を流しながら――。

 戦後日本に育ち、戦争なんて知らなかった。同世代の米兵たちの姿を思い返し、永里子さんは複雑な気持ちになる。戦争があるから、基地があり、それ故にこの街の文化は生まれた。兵士たちに、日本の若者はどう見えていたのか。

 「時代の必然で、みんな出会ったのよ」

 店内で歓声が上がる。ロックバンド「狂育委員会」の演奏が始まった。福生でよく知られる。リーダーの新井恒男さん(64)が30年以上前に結成した。昔は米兵の前でもよく演奏した。「やつらはノリが違うね」

 埼玉に住み、昼間は別の仕事をしながら、時折この街で熱唱する。「福生は息が抜けるんだ。自由になれる。ここにはそういう連中が今も多い」

 黒人音楽に傾倒するブルースマンの横内和也さん(48)は店では若い方だ。アルバイトで稼ぎながら各地で演奏する。

 「『あいつは音楽をやってた』。そう言われたい」

 時の流れで、多くの人が忘れてしまった何か。その何かが、この街にはまだあるのだろうか。

 (川端俊一)